「Home Sweet Home」の居場所を見つける
「Juliet’s Nightingale」は、ジュリエットから始まったわけではない。シェイクスピアからでもない。そもそも『Romeo and Juliet』からですらなかった。
始まりはJeff Fritchと、別のファミリー向けの舞台だった。
Jeffのアイデアは、故郷を恋しく思う歌だった。「ある場所を思い浮かべて……愛しいわが家」。カントリー風で、ちょっとJohn Denverのような感じはどうか、と。そこは僕にも馴染みのある領域だったので、ギターを手に取って、あれこれ弾いてみた。
ところが、どういうわけか、こんなことを思った。これを徹底的に「脱デンバー」したらどうなるだろう?
ばらばらにして、破片がどこに落ちるか見てみる。
あの温かく、懐かしく、みんなで口ずさめる歌詞を使い、痛いくらいにテンポを落として、むき出しの暗いピアノと混ぜ合わせる。
いいじゃないか。
だから、やった。
マイクにぐっと近づいて歌った。転げ落ちる自分を救ってくれと、何かの霊にささやきかけるような感じで。Jeffに頼まれた歌とは、ずいぶん違うものになった。
こんなバージョンがファミリー向けの舞台で通るはずはない。それは重々分かっていた。
でも、やらずにはいられなかった。
それでもJeffに送って、こう言った。「これを聴いて、客席の大人たちに泣いてほしいんだ」
彼はとても気に入ってくれた。
そして、まったく予想どおりの判定が下った。
この舞台では、絶対に無理。
ごもっとも。では、デンバーに帰ろう。
でも、Jeffはもうひとつ、こうも言った。「これは、いつか絶対に使わないと」
たぶん一年ほど後、Nagoya Playersの『Romeo and Juliet』の演出家、Ana Valdes Limと、公演でどんな音楽を使いたいか話していた。ジュリエットの寝室の場面について話し始めたとき、Jeffの言葉を思い出した。
そして「Home Sweet Home」を思い出した。
それで、もう一度ばらばらにした。ジュリエットのために歌詞を書き直し、歪んだ、機械的な、ねじれた音をメロディーにねじ込みながら、音楽を出発点からさらに遠ざけていった。この頃には、John Denverをイメージした元のカントリーソングから、ずいぶん遠くまで来ていた。
それからAnaに聴いてもらった。今、このサイトにあるデモだ。
彼女は、それでいこうと言ってくれた。そのことには、今も感謝してもしきれない。
「Home Sweet Home」に、ようやく帰る家が見つかった。
でも、デモはまだ骨組みにすぎない。
実際に舞台で演奏されたバージョンは、僕にとって、息をのむほど美しかった。デモでひび割れている僕の声の代わりに、ジュリエットの見事な歌声があった。そして、作曲者の録音を劇場の一場面へと変えるための、あらゆる仕事があった。
舞台を観たあと、Jeffからメッセージが届いた。
「『Home Sweet Home』を聴いたよ。涙が出た」
それは、僕にとって、とても大きなことだった。
最初に彼に言ったのは、客席の大人の心を揺さぶる歌にしたい、ということだった。そこにたどり着くまでに、ボツになったアレンジ、別の舞台、別の演出家、書き直した歌詞、そしてまったく違う劇的状況が必要だった。
でも、どういうわけか、たどり着いた。
そして、ロミオの話
このサイトにある、同じ公演のもうひとつのデモ「Romeo’s Lament」にも、同じくらい奇妙な前史がある。
当時取り組んでいた「Genevieve」という別の歌から生まれたのだ。
その歌には “a partner, not a project”(「欲しいのはパートナー。手直しするための課題じゃない」)を求める登場人物がいて、彼女が “drove a nail through the heart of town”(「町の心臓に釘を打ち込んだ」)という一節もあった。
後者の一節が生き残った。
ロミオの歌に取りかかったとき、彼を取り巻くいくつもの声が欲しかった。彼をのみ込んでいく悲劇をこだまさせる、ギリシャ劇のコロスのようなもの。「Genevieve」の素材が、このまったく別の世界へ入り込み始めた。
ここでも、このサイトで聴けるのはデモだ。
舞台では、Koryとバックで歌う人たちが、その素材を受け取って、ずっと大きなものにしてくれた。声、演者、劇場を満たす音。そして、それを本当に舞台に載せるまでの、とてつもない仕事。そのすべてが、曲を変えてくれた。
こういうものを書く人間でいると、不思議に感じることがある。
家でマイクとコンピューターに向かい、曲がどんなふうになるかを示すものをつくる。それから、人に渡す。
すると、ほかの人たちが、それを別のものにしてくれる。
後悔がこれほど詰まった芝居で、僕の唯一の後悔は、キャスト録音をつくらなかったことだ。
つくっておけばよかった。
というのも、このサイトにある二つの録音は、本当の意味で完成した物語ではない。スケッチなのだ。演者、演出家、制作チームが、やがて五感を満たすごちそうへと変えてくれた、あの材料。
そして僕は、あれをもう一度聴けたらと、心から思っている。