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アーカイブを掘り返して:歌が生まれるところ

最近、昔の音楽ファイルを掘り返している。舞台のために書いてきた音楽を、アーカイブとしてまとめようと思って。ここ数年手がけているファミリー・ミュージカルより、ずっと前のものもある。今のところ、見つかった最も古い音源は2010年のものだ。

聴き返していて改めて感じるのは、どれも本当に、いろんな人と一緒につくってきたということ。出来上がった曲には作曲者として僕の名前が載るかもしれない。でも、曲が実際に生まれる場所は、たいていそこじゃない。

2010年、Nagoya PlayersはJohn Lenihan演出で『A Christmas Carol with Heart』を上演した。Johnの家の居間に座って、ディケンズの物語をどう舞台にするつもりなのか、話を聞いていたのを覚えている。舞台はヴィクトリア朝のロンドンではない。テキサスにしたい、と彼は言った。

そのひと言で、僕の頭はさっそく別の場所へ飛んでいった。

まずはWim Wenders、Ry Cooder、そして『Paris, Texas』。あの並外れた、荒涼とした音の世界。それから、かなり唐突に、Woody Harrelsonと『Natural Born Killers』。たしかにずいぶん違う連想だけれど、なぜか全部、頭の中でごろごろ転がっていた。

どうしてそんなふうに考えが動くのか、いちいち立ち止まって分析はしない。僕が長年敬愛しているソングライターでありパフォーマーのTom Waitsは、曲を書くことをジャガイモ掘りにたとえたことがある。曲によっては「ジャガイモみたいに、そのまま地面から出てくる」のだそうだ。

そのイメージが好きだ。まさにそんな感じがすることがある。地面をがつがつ掘る。何か硬いものに当たるまで掘り続ける。形はいびつで、泥まみれかもしれない。でも、何かを見つけた。さて、これをどうするか。

一方で、曲が空から手の中に落ちてくるようなときもある。スーパーで買い物をしていると、がたがた鳴るベビーカーの中で泣き叫ぶ子どもが、突然、妙に大事に思えるリズムを繰り出す。そうなると、その場で携帯を引っぱり出して何かを歌い込まずにはいられない。アイデアを残すなら、今、この瞬間だ。

Johnの居間で、自分が何を掘り当てようとしていたのか、はっきり分かっていたとは思わない。でも、彼の話を聞くうちに、連想が次々と浮かんできた。

Johnは少し前にテキサスを訪れていて、旅先で撮った写真を取り出し始めた。その写真の一部は、後に僕が「This Town」のためにつくった映像にも入っている。

でも、いちばん鮮明に覚えているのは、彼が目にしたものについて話していたことだ。抗いようもなく衰えていく地方の風景。ゆっくりと生気を吸い取られてしまったような町。かつてそこに何かがあり、それが消えつつあることを感じさせる建物や通り。

その会話と写真が、僕に向かう先をくれた。

そこから生まれたのが「This Town」だった。

今、この録音を聴き返すと、2010年の自分の技術的な立ち位置も思い出す。コンピューターで曲を録音し始めたばかりで、まだ何をどうすればいいのか、よく分かっていなかった。でも、当時の自分がしっくりくる音にするために、ものすごく頑張ったことは覚えている。

こうして昔のファイルを聴き返すのが楽しいのは、それも理由のひとつかもしれない。今なら違う録り方をするだろう、と思う箇所はある。当然だ。16年も経っている。でも、当時どんな判断をしていたのかも聴こえてくる。そして何より、なぜそうしたのかを思い出せる。

この音楽は、僕がひとりでコンピューターの前に座って、衰退する町の歌を書こうと決めたところから始まったわけではない。

始まりは、ある人の家の居間だった。演出家がディケンズとテキサスについて話している。目の前には写真が広がっている。ひとりのアイデアが、もうひとりの頭の中で、連想の連鎖を引き起こしていた。

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